お祭り以外に年間を通じてイベントをやろうって、丁度名古屋市から助成金が下りる
「にぎわい事業」ってのを利用うしてプロジェクト今池を立ち上げた。
今池交差点でライブをしたり、年末は餅つきしたり、年2〜3回は今池ガスホールを借りて有料興行もおこない、とにかく今池に足を運んでもらって、今池を魅力ある街にしようと。
今池まつりじゃ、10年以上前から路上にリングを立ててプロレスをする名物企画があり今池の街の人たちには「プロレス」が身近なものになっていた。
あるホールでのイベント終了後、撤収作業をしながら、青山クリーニングと会話、
「ここでプロレスできたら最高だよねぇ、でも椅子があるからなぁ・・・」
その会話を袖で聞いていた、ホールの責任者山本さん、
「ここ、椅子取り外せるんだよ、おれ、プロレス好きだでプロレスやってよ〜」と
そこから話が急展開、商店街のみんなに相談、予算組、ホールを管理する東邦不動産にも交渉、プロレス興行をするからには、始めからプロデュースをお願いしようと決めていたスポルティーバエンターテイメントの斉藤氏に相談、難色を示す管理会社にプレゼン・・・
一歩、また一歩とみんなで問題を解決していき、第一回の今池プロレス商店街を大成功させた。
二回目からは「今池プロレス」のブランドも立ち上げ現在に・・・・
一回目の時、計算の甘さから、搬入エレベーターにほんの数センチの差でリングが入らず、レスラー、スタッフ、商店街のみんなで9階まで階段で運んだり、
マグナムターミネーターのVTR撮影を、ホールに許可取らず、ゲリラでやったため、
警備員が慌てて飛んで来たり、
マンモス半田選手がラストにプロジェクターをぶっ壊し、興行までぶち壊しそうになったり・・・
今じゃ良い思い出(か?)に。
ガスビルでの山本さんのあの一言が無かったら、今池プロレスって存在していなかった、
ガスホールがなきゃ今池プロレスって存在していなかった、
みんなの協力が無かったら今池プロレスなんて一回で終わっていた。
みなさんに感謝すると共に、今池ガスホールにも感謝です、
春から、椅子が取り外せなくなり、プロレス会場として使えなくなっても、
今池ガスホールはこれからも今池交差点のランドマークとして、
我々プロレスファンの語り草になるといいな。
昔、ここでプロレスやってたんだぞ・・・
そんな親子の会話が聞けるといいな。
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