小学生の頃ブルースリーが大好きで、
そして空手バカ一代を読んでから大山倍達だ大好きになって、
絶対に空手やりたいって思って…
でもまだまた当時(40年以上前ね)は空手は危ない、野蛮な物みたいな風潮が有って、
親から高校生になるまではダメって言われて…
親にしてみたらそれまでに諦めるやろって思ったんだろうな(笑)
中学の卒業式が終わったその日に電話帳見ながら空手道場に片っ端から電話して問い合わせ。
一応親のスネをかじるんでなるべく安く、近く、そして感じ良い対応してくれる所(笑)
日本空手協会
松濤館流
拳友館空手道場
に入門した。
大好きな空手が出来るって事で一週3日欠かさず稽古に行った。
裏覚えだが当時、月水金は一般部、
火木土が少年部だったと思う。
明けても暮れても空手一色
周りの友達からは空手バカと言われ
異例の速さの二年で黒帯になる、
そして県大会での優勝。
自分の道場で稽古しながら火木土は春日井に独立した先輩の道場の少年部の指導を任される。
もちろん交通費なんぞ出る事もなく、謝礼として少年部終了後に先輩が稽古を付けてくれると言う名目で練習台にさせられると言うなんとも理不尽な内容だった(笑)
それでも空手が出来て幸せだった。
社会人になり東京に行きなかなか稽古も出来ず
しかしヒマをみつけては稽古は続けていた。
夢は自分の道場を持ちたい
プレハブでも良いやとコツコツ貯金していた。
名古屋に戻り家業を継ぐとやっぱり時間が無い。
昼間に稽古している空手道場など皆無に近かった。
それでもスポーツジムなんかで稽古をしていた
そこで知り合ったジムのインストラクターが極真の指導員もしていた、
そしてあの大山倍達の極真カラテを教えてもらう。
しばらくすると近所のスポーツジムにカラテ教室が出来る、時間は土曜日の昼間、
仕事のやりくりさえちゃんとしたら通えない時間ではない、
見学に行くと指導していたのは極真カラテの軽量級全日本チャンピオンの山本健策師範!
そりゃすぐ入門ですわ(笑)
その日やっぱり見学にいたのが原田君だった
それから十年以上毎週土曜日は必ずカラテ。
この十数年で稽古を休んだのは5日くらいか?
継続は力
山本師範からこのクラスの指導員を任される
自分の道場では無いにしろ、自分のクラス、自分の生徒さんを持つと言う夢を叶えられた。
一年ちょっと前にオヤジが病気をし、仕事的にカラテ教室に行く時間が無くなり泣く泣く引退。
その頃の生徒さんのひとりが東京に転勤になるから今度の日曜日に送別会をやるから参加してもらえないかとお誘いが、
しかし生憎その日はテレビ収録が有り夕方からまるかぶり
参加不可能。
すると今日懐かしの生徒さん達がきも善に飲みに来てくれました。
こいつは嬉しい!
佐藤、ありがとう〜
東京に行っても頑張ってカラテ続け下さい、
黒帯まであと一歩!
期待しています。
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